起業家マインドに必要な
技術よりも大切なモノとは

吉藤オリィ社長×山田学長




ALSとの向き合い

オリィ
吉藤オリィ
社長
その後、ALSという病気があることを私も知りました
当時は全然有名じゃなかった

2013年ぐらいに出会ったALSの方が、眼球しかほとんど動かせなかったが、
意識ははっきりしているし、痒いとか痛いとかっていうインプットは全部できるのに、
アウトプットができない

手を動かしたりとか喋ったりもできなくなって、 呼吸器をつけないと息ができない方だった
オリィ
吉藤オリィ
社長
日本って、ALS全体の3割しか呼吸器をつける人いないんですよ
世界的に見ると1割しか呼吸器をつけない

つまり、日本ってこれだけ長寿の国と言われ 、延命技術が発達し、
呼吸器とかいろんなものを付けて 生きることはできるけど、
他の国からすると羨ましい生き方になっていない
んですよ
オリィ
吉藤オリィ
社長
日本人って生きてなんぼというか、生きてくださいなんです

例えば欧州であったり、北欧って福祉のイメージって結構あると思うんですけど、
呼吸器を付けて寝たきりで生きている人ってあんまりいない

日本って付けるんですけど、 他の国からすると「それは残酷だ」と
「呼吸器をつけてまで生かす価値がどこにあるのか」と

価値というか、その人の尊厳ですよね
オリィ
吉藤オリィ
社長
呼吸器を1回着けると外せないんですよ。日本って

外すとすると、法律というか、そういったものを通しなさいっていう風に言われる
オリィ
吉藤オリィ
社長
でも、呼吸器を付けたとしても 自分らしく生きていけるのか、
という研究を ALS協会の方々とやらせていただいてます
オリィ
吉藤オリィ
社長
もともと右手で絵を描いていた方が ALSになられて、右手が動かなくなり、
左手で筆を持ったら左手も動かなくなって、
口にペンをくわえて絵を描いたら口も動かなくなって

「もう俺は描けないのか」って思っていた方が、しかも目しか動かなくなってしまったから
何もできず、テレビを見続けるだけの人生だった方が 、
我々のことを知って、「視線入力でこんなのできるのか」「俺も描いてみたい」ということで、
その方が我々のシステムを使ってくれた結果、生まれたのがこの絵です
絵
山田学長
山田学長
これはスゴいな
オリィ
吉藤オリィ
社長
この絵は目だけで入力して描いているんです

カフェに飾ってある絵は全部目だけで描いた絵です

こういうことが、技術があればできるんですね
オリィ
吉藤オリィ
社長
今まで他の国からうらやましいと思われなかった、
生きていても仕方ないんじゃないかって思っていて、
本人も「こんな私が生きてていいんだろうか」という方が
こういった技術が1つあることによって、
さまざまな表現活動ができるようになります


作詞されている方もいますし
オリィ
吉藤オリィ
社長
本を書いた方とか、視線入力だけで
仲間にはDJやってる人がいたりとか

意識があって、そして眼球という1つのインプットを、
こういう技術で広げることによって、
メタバース上でアバターが走り回って 仲間たちと交流して
山田学長
山田学長
また新しい展開ですね
オリィ
吉藤オリィ
社長
…というのが今実際に起こっています

10年前 、私がALSの世界で研究を始めた頃なんていうのはすごくアナログで

例えば、(お母さんがALSで)娘が自分の介護をするため結婚もせず、仕事にもつけず、
ずっと自分を介護し続けてるんだ、と
死ぬまでそれが続くとなると、「娘にとって多分私はいない方がいいだろう」
っていう判断をされる方が多かった

そういう方で、亡くなった方も私の知り合いにいて

そこを何とかできないだろうかということで、こういう研究をやったりしています
オリィ
吉藤オリィ
社長
今世の中というのは、体が動くことを前提にデザインされている

じゃあここからどうすれば、体が動かなくなっても、
寝たきりになった先を作ることができるのか

我々もいつか寝たきりになるわけですよ
残念ながら人間というのは歳をとってとか様々な理由で体が動かなくなるけれども、
その先ってあんまり考えていないし、考えたくない
んですよ
オリィ
吉藤オリィ
社長
それを本気で考えることができるのが 、寝たきりの先輩たち

彼らと共にこういうでデカいロボを作って、将来は体が動かなくなったとしても
自分の介護を自分でやれるようにしようということも考えてます

こういうロボットを使って、全国で今、
このカフェだけでも70人のメンバーたちがシフトを組んで 1つのロボットをシェアして、
みんなが入ったり出たりしながら 20台ぐらいのロボットを 次々に入れ替わって瞬間移動したり、
たまに1人が複数のロボットを動かしたりしながら働いてます

そういうカフェをやることで 、今まで全然働けなかったメンバーたちが
「10年ぶりに人と話せました」とか「知らない人と話せました」とか
「新しい出会いがありました」とか
orihime-D
オリィ
吉藤オリィ
社長
そうすると見に来た方も「なんだ、寝たきりでも働けるじゃん」
「うちの会社は障害者雇用に力を入れようとしたんだけど 、1回失敗して」とか、
「なかなか雇い方が分からなくて 、でもこの方法で全然雇用できるじゃないか」ということで、
うちのカフェからどんどん引き抜きを受けて、
企業に就職していっているという人が生まれてます
オリィ
吉藤オリィ
社長
神奈川県庁でアドバイザーをやったり、NTTさんの受付をやったり、モスバーガーで働いたり、
要はロボットやテクノロジーをつくるのではなく、こういったものを使うことによって、
その人の人生というものが「私は寝たきりだから何もできない」と決めつけていたのが、
「あっ、こういうこともできるんだ」というふうに発信し、
それを行ってさらに「できたよ」ということを発信することで、
他の人がそのバトンを受け取って 「あっ俺もできるかも」となり、
このサイクルが回っていく

できないということが価値に変わる
オリィ
吉藤オリィ
社長
これまではできること 、スキルそのものが価値だった

これからは、できないということを考えることによって、
「“どうすればできるか”ということを考えることができる」という点で価値になり、
それによってさまざまな課題が解決されていく

当事者と 技術が一緒になって物事が解決へと進んでいく
…こういったデザインと研究を我々はやっている

体が動かなくなっても、自分の意思で会いたい人に会えて、行きたいところに行けて
死ぬ瞬間まで人生を謳歌することができる
孤独にならない未来をつくろうということ
対談
山田学長
山田学長
ありがとうございます
今話を聞きながら
10年前に初めて講演をしていただいたときの感動が蘇っています

内容が本当に進化しているんだなぁ
その10年分の進化を感じる
…そんなお話でした
オリィ
吉藤オリィ
社長
ありがとうございます
やっていることは当時と同じなんですけどね
山田学長
山田学長
当時、
(オリィさんの過去の経験で)ベッドの中で過ごすことが多く、家族と団らんが持てない
その団らんを持つために OriHimeを開発して、OriHimeを団らんの中に置いて、
ベッドの中からそれを操作することによって 家族とのつながりを維持する
…というお話を聞いて 、ロボットの使い方として本当にすばらしいな、と
オリィ
吉藤オリィ
社長
ありがとうございます
めちゃくちゃ覚えてくださっていますね
山田学長
山田学長
めちゃくちゃ覚えています
本当に覚えている

それが今進化した形で、
多方面に展開されているんだということで、
また感激しました
オリィ
吉藤オリィ
社長
本当にありがたいことに、先生もそうですけれども
10年前お会いした方々と最近再会することが多くて 、
皆さん覚えてくださっているんですよね
めちゃくちゃありがたいなと思っています
山田学長
山田学長
いろいろ覚えています
折り紙協会の話も覚えています

オリィ
吉藤オリィ
社長
折り紙が好きなんですよね
オリィという名前は折り紙からきてる
山田学長
山田学長
あ、そうだそうだ
思い出します
当時副会長をやっておられました
オリィ
吉藤オリィ
社長
ここに折り紙ありますから
山田学長
山田学長
これを片手で折られたのも覚えています

オリィ
吉藤オリィ
社長
みんな同じ髪型にしてて、みんな同じ黒い色をしていて …というのが苦手で、
だからせめて (私は人の顔と名前を覚えることが苦手で謝ってばっかりだったので)
同じことで苦労している人に同じ目をかけたくないなと思って

じゃあ、ちょっと自分をキャラクター化しようと考えて
折り紙からオリィという名前にして 、この黒い白衣っていうのを作って 16年着ている


この格好もあって覚えていただいているのが嬉しいです
山田学長
山田学長
そうかもしれませんね
あの時もその着ている“白衣”じゃないですね
黒衣と同じなんだと思いながら
今日も久しぶりに会って思っていました
オリィ
吉藤オリィ
社長
今の若い人たちがリアルで、学校で クラスメートの顔をちゃんと判別し、
名前で識別できているのってすごいなと思うんです

よりできない人が多くなっているんじゃないかなというふうに勝手に思っています
山田学長
山田学長
あまり関係があるかどうか分からないんですけど、
最近聞いた話で1年生とか2年生が、このコロナの状況でみなさんマスクして会っているんですね

当初はスクリーン越しでしか会えなかったのが、最近、
大学も対面で授業をやるようになって皆さん来られているんですけど、
それでもマスクしています
マスクを外すと誰かわからない
きっと今同じような悩みを持っている人は山のようにいるかもしれませんね
オリィ
吉藤オリィ
社長
絶対にいますよね
目の形で覚えるしかないですよね
口の周りの情報が減って
山田学長
山田学長
大学教育も、コロナが終わってずいぶん対面に戻ってきているんですけど、アフターコロナを考えた時に、
どう言った教育を提供していかなければいけないんだろうか
その中に対面である必要がどこまであるんだろうか

やっぱり大学に来て課外活動なんかをして人との繋がりを持つのも大事、
人と一緒に共同作業をするというのは大事なのはわかるのですが、
でもそうでない部分もメタバース世界ではありますよね

どういうような世界に社会が変わっていうのかはすごく興味深いところで、
我々の小さい頃ってメタバースという言葉がそもそもなかった
山田学長
山田学長
「TORON」という映画、が1番最初にあったのがメタバースの始まりなのかな
最近リバイバルして、新しく作られた「TORON」というのが出たと思うんですが

そのうち「マトリックス」っていう映画が出てきてこの世界観ってなんなんだろうな、
どういう風に理解すればいいんだろうと思っていたのが、
「どうぶつの森」の世界で皆さんとコミュニケーションをとるのが流行っている

あれがもう現実になりつつあると思っていたらコロナになって、本当にそうせざるを得なくなった

これだけメタバースの世界が我々のそばに来る
この先どうなるのかすごく興味があって

でも専門でもないし、いい歳ではあるので、そういう世界に馴染めるかどうかはわからないんですけど、
世界の変わり方には関心を持って見ています。あと30年経つとどうなるんだろう
オリィ
吉藤オリィ
社長
多分、今多くの方がメタバースを語るときに、私は34歳なんですけど、これくらいの世代で面白いのが、
人生の半分くらいからスマホが出てきている
人生の前半は極めてアナログで、16歳くらいまでパソコンも携帯も持っていませんでいたから
そこから一気にプログラミングを始めたり、情報の方にいったんですけど
私より若い人たちはもっと若いうちから情報社会、ネット上でコミュニケーションを取ったりと、よりネイティブになってる

…というふうに考えてみると、そっちの方で人格形成というか、自分とは何かということが、私もある程度やってきましたけど、
メタバースという言葉で言うとオンライン上にアバターを作ったことがない子供たちの方が少ないと思うんですよね
オリィ
吉藤オリィ
社長
「どうぶつの森」でもそうですし、「モンスターハンター」であったり、キャラクターメイキングっていうのを当たり前にできる

それが明らかに自分と違う姿をしていても、そのアバターがみんなから悪口を言われたり、石投げられたりするとイラッとする

つまり自分の分身としてそれを使う。しかもそれで経験したことが自分の思い出として残っている

そういう経験をしたことがある人たちの方がネイティブとして考えられる時代になっていて…
今の世の中を語るときにどうやってメタバースとかVR世界に行くのかを考えてるんですけど、
もう少し慣れている人って逆で、そっちの方が世界を選べますからね

リアルよりネット世界の方が自分らしい。より理想の自分になれている人の方が多いと思う
オリィ
吉藤オリィ
社長
なぜなら現実は選べないけど、オンラインのゲームはいくらでも選択できて、気に入ったゲームを
プレイしているのであって、そこで作られたキャラクター性がリアルの自分達よりも自分らしい
…そう考える人たちの方が多い

だとすると次の世代の人たちって、むしろどうすれば我々がVR世界に行けるかじゃなくて、キャラクターを作って、
人間関係を作って、キャラクター性のまま、どうリアルで会うかということにテーマが移ります

生まれつきメタバース世界の住人なんですよ。どうやってメタバースからリアルを楽しみに行こうか。
山田学長
山田学長
その世界があるのはわかっていまして、私たちもアニメを見ないわけではないですし、
最近だと「ソード・アート・オンライン」っていうのが流行ってるよと聞いて、見させていただいた

今お話ししていた世界というのがまさにアニメの世界と区別がつかないようなお話しで、
それと現実世界と結びつけるんだという話の中に、このOriHimeがどういう分に織り込まれてくるのか
オリィ
吉藤オリィ
社長
引きこもっていた私が面白かったのが、こういう遠隔操作のロボットを作った時に、
ロボット越しになら話せるんじゃないかと思ったんですね

家から出ることがとても怖かった、学校に向かって歩いて行けばお腹が痛くなる

悪いイメージがどんどん膨らんで…一回行ってしまえば、他の生徒は私をいじめてこないですし、
意外と仲間に覚えてもらっていて、「久しぶり」と言ってもらって「あぁ、よかった」となるんですけど、
オリィ
吉藤オリィ
社長
悪い想像が膨らみすぎて行くまでが怖いんですよ
もし自分が安心できる家の部屋の中にいながら、学校に入れて、
仲間達と会話しながら「ダメだ」と思ったらすぐ逃げれるような状態が作れると、もう少し行きやすかったんじゃないかと思う

人って自分という姿によって第一印象とかをいくらでもコントロールできるのだけれど、
どう見られるか、どう扱われるかによって人からどう扱われるかが変わってきて

メタバース世界の方が自分らしい、現実の自分が冴えないと思っていて、周りからもあまりいい評価を受けないというか、
パッとしないかもしれないけど、ネット世界ではこういう喋り方ができる、ネット上でピカチュウになったら、ピカチュウとしての自分がいる

だけども、リアルはピカチュウとしての自分では無いわけ
だからこっち(ネット上)の方が好きだと思った時に、そのキャラクター性を維持した状態で現実に出現する時のアバターというのは、
リアルじゃなくてもいいんじゃないかと思っていて
山田学長
山田学長
なんか逆ですね。リアルの中にアバターが存在することになるんですね
オリィ
吉藤オリィ
社長
生まれてからずっとアバターを作り続けた人からすると、もはやリアルは帰るところではなくて行くところなんですね
これから先、みんなが「マトリックス」みたいに、そこを現実と考えて、そこからログアウトしない・できないっていうのではなく、
行き来しながら、現実でしかできないことを楽しんで、現実では中々できないことをメタバース世界でやっていく
…というようなことをシームレスに移行する

例えば、片目VRゴーグルというのを作っていて、ちょっとだけお見せしますね
山田学長
山田学長
何がすごいって、そういう技術が先にあるわけじゃなくて、人の気持ちだとか感性が先にあって、何を作っていくか

それを考えてるところが、私たちの周りで工学系の大学ですから、
ロボットを作っている先生や学生とよくお話しすることがあるのですが、それが先に立つということがあまりなくて

やはり技術の話が多くなってしまう。それとは全然違うと感じています
だから人の感動を呼ぶものを作れるんだと思っています
山田学長
山田学長
オリイさんのそういった話って、どこかで公演されたりするんですか?
私はたまたま友達がお知り合いだったので、公演を聞く機会がありましたし、
今回は大学の企画としてお話しを聞く機会があって凄く嬉しいんですけど
オリィ
吉藤オリィ
社長
今日は久しぶりにお会いしたということでマニアックな話をしてしまいましたけど、
ここまでマニアックな話しは普段はしないようにしてます。引かれますので

企業したキカッケ

山田学長
山田学長
今日のテーマの中で、「起業する」というテーマがあります

私は大学に長くいますが、一旦メーカーに就職したこともあるんですが、なかなか自分で、
「こういう思いがあるから、それを自分で作っていこう」とはならなくて

そういうことをやっているメーカーに就職して、力を出していくと考えるのですが、
オリイさんは若い頃から、思ったことを実際作られますし、それを表に出していこうとする中で、
自分で組織まで作られますよね
そのきっかけっていうのはどこに有ったんですか?
山田学長
オリィ
吉藤オリィ
社長
オリジナルな教育を受けていたところが幾つかあって、不登校になった時に小学校5年生の時に学校に行きづらくなって
初めは入院がきっかけだったんですけど、学校に戻りづらくなった時に、学校の先生が、「じゃあ授業は出なくていいよ」「制服着なくてもいいよ」と
みんなが登校した1時間後ぐらいに学校に来て、職員室の隣にある、違う玄関か、
玄関の隣にある資料室があって、そこが結構狭い部屋なんですけど、そこを吉藤の部屋にしていいよと
オリィ
吉藤オリィ
社長
そこにいて何をするかというと、図書館にしおりがないので、そのしおりを、「吉藤お前工作好きだろ、たくさん作ってくれや」と
そういう居場所と役割をくれたんですよね
それが実はめちゃくちゃ好きで、教室に行かなくていいんだっていうだけで、学校に行くハードルが下がって、
他の人たちよりも早く帰ってとか、1人だけお弁当食べたりしてたんですけど、
そこで折り紙とか折りつづけたことで、創作折り紙に目覚めていったりだとか、ペーパークラフトにハマっていって、
物作りがすごい高まっていくっていうのがあって、その時吉藤の部屋っていうのがあったんですよね
オリィ
吉藤オリィ
社長
その後、特別扱いできないってことで無くなっちゃったんですけどね

中学校で不登校から復帰した後も、教室になんとなく自分の部屋を作って、生徒会長を巻き込んで、
そこに秘密基地みたいなものを作ったりだとか、工業高校の時も自分の空間を作ったり、
その後の高専にも、部員ゼロの部活を1人の部活にして復活させて、そこのパソコンを使わせてもらったりとか

で、大学に入った時に、入りたい研究室がなかったので、ないんだったら自分で作ろうと思ってオリイ研究室を作ったのが、
後のオリイ研究所の前身になるんですけど

何かしら一番初めに吉藤の部屋を作って特別扱いしてくれた先生の思い付きというか、
そういうことによってなんとなく勝手に何かを作るっていうことがその後(小学生以降も)ずっとあったなって感じるんですよね。
オリィ
吉藤オリィ
社長
大学って研究室に入らないといけないじゃないですか
入らないと卒業させてもらえないんですけど、私が早稲田大学に入ったのは、
橋本修二先生という恩師の先生がいて、先生にお誘いいただいて、「うちに来てロボット作ればいいよ」って言っていただいて早稲田に入ったんですけど

入ってから気づいたのが、やりたい研究室がなかったんですよね
オリィ社長
オリィ
吉藤オリィ
社長
入る前に気づけよという話しなんですが、「じゃあもう自分で作るしかないな」と思って、
オリイ研究室を勝手に名乗って、自分1人の研究室というか、非公式研究室みたいな

そのあとOriHime というロボットを作って
私には幾つか選択肢があって、
・作ったOriHimeというロボットを企業でやらせてもらえるところを探して商品化してもらうか、
・アーティスト、クリエイターとして発表しつづけ、世の中に普及はしないと思うけど、外には発表していくみたいな方向性で大学に残って研究し続けるか、
…という選択肢があって悩んでいた時に、当時ロンドン大学にいた私の仲間が、
「そういうものを会社にして、世の中の仕組みにすることによって、いちアーティスト、いちクリエイターが作ったものを、その人が生きている限り色んな患者さんの元へ行って活動するかもしれないけれど、でも吉藤が死んだ後、アフターフォローも無くなって、使っていた人も使えなくなってしまって、本当にそれでいいのか?」って言われて

つまり「会社を作るビジネスを作るっていうのは、別にお金を稼ぐことだと思われがちだが、そうじゃないんだ」とその人は言って、
要は「吉藤がいなくなった後もシステム的に人がそれを継いで広がり、何なら他の企業も同じような概念を取り入れて製品化されて」ということで世の中は変わっていくと考えると、他の人も参入しやすくなるようなものになるべきだし、維持されることが大事
オリィ
吉藤オリィ
社長
システムというのは人の流れであって、そういう人がいることによってあらゆるものは維持される

ロボットだって会社だって人がいないと維持されない人がいるということは、
その人たちが食っていけるということであって、
それが会社をつくって世の中の仕組みをつくることなんだよ、
…というふうなことを言われたときに、初めて全然ビジネスに興味なかったんですけれど、
ビジネス、起業しろよと言われたときに全く興味なくて、「いや、俺お金興味ないし」とか言っちゃったんですけれど、
でもその話を聞いて、「確かにな」って思って
オリィ
吉藤オリィ
社長
私が死んだ後も、考え方であったり、さらに良いものが世の中に提供され続けるようなものっていうのを考えたときに、
これはやっぱり今の資本の原理というか、仲間を集めながら、それをやっていった方がいいだろうということで、
株式会社化してオリイ研究室がオリイ研究所になるっていう
山田学長
田学長
その最初にあった強い思い、それを現実にしていく
オリイさんの今の考えを後世に残さないで、そのサービスや考え方自体がなくなってしまってはいけないということですね
オリィ
吉藤オリィ
社長
そうですね。 私もいろいろな人から何かバトンを受け取ってきたような感覚はあるんですよね
山田学長
山田学長
なるほどね、わかりました
オリィ
吉藤オリィ
社長
先生も多分、みんな、今までの人生を振り返れば、
あの時あいつがいなかったら今の俺いないなっていうのは絶対ありますよね
山田学長
山田学長
それはもうたくさんいます。私がこういう道に進むのも、一つ一つを見れば、
私の出身の奈良の言葉でいうと、きっしょきっしょで、
そういう大事な人に会って、影響を受けて今があるのかなと
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