創立者 有元史郎

有元史郎は、1923年、苦学の末に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業。引き続き同大学経済学部に学士入学して経済学を学びました。向学心が強く、工学、経済学の他にも、法学、文学、商学を修め、合わせて5つの学士号を取得しました。弱冠30歳、東京帝国大学の大学院生の時に東京高等工商学校を創立し、芝浦工業大学の礎を築きました。

論文「非科学的教育の提唱」

1931(昭和6)年12月、本学の前進、東京高等工学校の「校友会雑誌」第5号に有元史郎の論文「非科学的教育の提唱」が掲載されました。
実学重視の教育理念と気概を高らかにうたい上げており、本学の建学の精神の源泉となるものです。
同論文で、有元は昭和初期の学校教育に対し「社会と絶縁する傾向を以っている(原文)」と指摘しています。専門性の深堀りに特化して、社会と学問を関連付づける全人的な視点を失う傾向に警鐘を鳴らしているのです。
有元史郎はこのような「現代教育の根本的欠陥を救済すべく」「非科学的教育」を提唱します。ここで言う「非科学的教育」とは、「科学を排斥するものではなく、学問的大家によらざる教育、科学的観点の元に蒐集(しゅうしゅう)することなき教育を意味するもの」で、「我等の生活の中に科学の溶け込んだ現代文化の諸相を教材とし、社会の一員たる個人に社会的活動の意義を体得せしめる教育」でした。そして、東京高等工学校は「本邦の私立学校として特色ある専門教育を施し以って実社会に貢献せんとする」と宣言して、この論文を結びました。
その後、1949(昭和24)年、新制大学として設置された芝浦工業大学の設置要綱と学則にもこうしたことが明記されていました。新制大学として同時期に発足した工科系単科の大学で、技術者の育成を大学の目的として設置要綱および学則に明記した大学は存在しません。この実学重視の技術者育成の理念は創立時から脈々と伝えられています。

論文「非科学的教育の提唱」