しばうら人 小川 達生さん(株式会社日新コンピュータシステム取締役会長)

2020/08/25
  • しばうら人
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人にも仕事にもじっくり向き合う

IT 業界に40 年以上携わり、技術者そして経営者として経験を積んできた小川さん。技術者として仕事が楽しいと感じる瞬間、人材育成での経験、会社を経営するという難しさ。小川さんのIT 業界での経験から見えてくる業界の歴史や、仕事への向き合い方とは。
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小川 達生さん
株式会社日新コンピュータシステム 
取締役会長

1976 年3 月 通信工学科卒業

ソフトウェアで機械を動かす

「機械には動かすための指示をするソフトウェアが重要」だと、学生時代にソフトウェアの魅力を感じ、現在は取締役会長として経営に携わるIT企業、株式会社日新コンピュータシステムに入社した。1967年創業の同社は、50年生き残っていれば相当長生きだと言われる業界の中で、日本IT産業の黎明期から存在するかなりの古株だ。創業社長の頃から「会社を大きくしすぎない」と経営方針が決められ、小川さんが入社した当時から4代目社長に就任、現在の会長職に至るまで、変わらず100人から180人程度の従業員数規模の会社だ。

ソフトウェア開発の面白みを語る笑顔は、技術者そのものだった。しかし、経営の面白みがわかってきた社長時代の話、採用した人材が生き生きと活躍したときの人材育成の話、母校の学生を多く採用し育成してきた経験から、学生の就労支援をしたいという卒業生としての話、技術者だけではない側面に対応してきた話も多くあった。常に物事にじっくり取り組み、楽しむことを忘れない姿勢が、新しい技術・アイデアを常に求められるIT業界への向き合い方なのかもしれない。

ソフトウェアの魅力

 オーディオファンだった高校生時代、音響機器を学ぼうと通信工学科のある芝浦工業大学に入学した。ハードウェア(機械)に興味があった小川さんは、コンピュータのハードウェアを扱うゼミナールへ単位外だったが学部1年生のころから参加し活動していた。学部4年生で卒業研究を行う研究室に配属されたとき、企業や他大学との共同研究で「視覚障害者向けの点字を金属板から他のメディアへ移行する」ことが決まった。もちろん、点字データの読み込みや出力をする機械に指示を出すコンピュータのハードウェア製作に人気が集まったが、たまたまじゃんけんに負けた小川さんが、ソフトウェア開発を任されることになった。当時はOSすらまともに無い時代。発売されていたミニコンピュータに搭載された、アメリカ製のOSを逆アッセンブルして作成した。実際にコンピュータを動かしたとき、ソフトウェアの指示がなければ、ハードウェアは動かないことに気づき、IT企業へ就職することを決めたという。

入社当時は、一般企業の業務にコンピュータが導入され始めた時代。何をするにしても初めての導入で、依頼する側も何をシステム化すれば業務負担を減らせるのか分からない、手探りの状態だった。特に覚えているのは、入社2年目でプロジェクトリーダーを任された、都立病院の各種システム導入案件。6年携わったこの仕事では、患者の予約システムから、検査結果、処方箋発行など、現在の病院システム運営の基礎を作り、全国の病院に広まった。医者から、「診察が便利になった」と聞けば自身の体の診察中に「私が作ったんです」と話が盛り上がってしまうほど、利用者からの言葉にやりがいを感じていた。

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▲ 創立50 周年記念式典 小川社長挨拶(当時)

技術者から経営者へ

技術者志向で現場が好きだった小川さんだが、40歳になるころ2代目社長が倒れ、急に経営陣から白羽の矢が立った。まずは役員となり、3代目社長の経営を見ながら56歳のころに4代目社長として就任した。3代目の仕事を見る時間があったとはいえ、就任当初は社長として何をすればよいのか手探り状態。まずは、3代目が作って来た経営の流れをそのまま続けられるようになぞっていった。そんな中、自身が技術者としてやりがいを感じていた「ユーザーの声」が、直接現場に行かなくとも仕事ができてしまう環境ではなかなか聞こえず、もったいないと常々思っていた。当時最先端だったiPadアプリケーション作成企画を社内公募し、プレゼン大会を開催。採用された、「iPadから遠隔地のフォトフレームに写真や簡単なメッセージを送受信できるアプリケーション」を自社開発した。正直、売れ行きは良くなく赤字だったが、ダウンロード数やコメントなどがユーザーから直接得られることで、社員に笑顔が増えモチベーションが上がった。「経営とはこういうものか」と面白みを感じられたのは、こうした自分らしい経営施策を取り入れられた、60歳になったころだった。


人材育成も事業展開もじっくり見据えて

社長就任以来、芝浦工業大学の卒業生を積極的に採用している。人材育成への考え方は、「必ず人にはうまくはまる仕事がある。それが見つかるまで長い目で見て育てること」だという。理工系の大学院を卒業した社員が技術部門でくすぶっていたが、8年後に営業支援へ配属したら才能が開花したこともある。こうした経験を生かして、今後は卒業生組織である校友会の在校生就職支援委員として、じっくり学生を支援していく。

会社の事業もしっかりと見据えて、舵取りをする必要ある。入社当初の会社は製造業の生産管理システムに力を入れていたが、工場が海外に移ることを見据えて、保険などの金融システムにシフトしていった。同じように、コロナ禍で状況が変わってきている今、どのようなシステムに力を入れていくべきなのか、決断が求められてくる。この難局のなか、社長から会長へと会社での役割を変えた今は、社長の決断を支援していく。
14_しばうら人_ボウリング4▲社内ボーリング大会で従業員と (右端)

(広報誌「芝浦」2020年夏号掲載)

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