しばうら人 山上裕一朗さん(株式会社山上木工)

2022/03/14
  • しばうら人

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津別から世界へ 〜地方の小さな会社が技術で世界と戦う〜


オホーツク海から近いとある町に今、世界中から注目が集まっている。山上木工という木材加工会社が、2020 年東京オリンピック・パラリンピックのメダルケースの製造を請け負うことになったのだ。この採用に尽力し、世界中に向けて発信しているのが、現在専務を務める山上裕一朗さん。地方から世界に展開する山上さんが描く「津別から世界へ」の戦略とは。

山上 裕一朗さん
株式会社山上木工 専務取締役
2007年機械工学第二学科(現、機械機能工学科)卒

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機械工作技術に自信


 北海道網走郡津別町。自然あふれるこの町は、古くから林業、木材加工業が盛んで、山上さんの祖父が創業した山上木工も、来年で70周年を迎える老舗企業として知られている。この企業の大きな特徴はNC 工作機械による木材加工だ。NCとは「Numerical Control(数値制御)」のことで、機械による高精度な加工を得意とする。他ではなかなかできない特殊な部品の加工を請け負い、都内宝飾店の内装や高級ホテルの家具など実績を積み重ねてきた。また家具の自社ブランドを立ち上げ、その高い技術に評判は国内だけでなく海外にも及び、今やクライアントは香港やフランスなど世界各国に広がっている。
 

機械の道へ、就職そして帰郷


 山上木工の3代目として津別町に生まれた山上さんは、父の仕事する背中を見て育つうち、自然と機械に興味を持つように。高校卒業後、芝浦工業大学機械工学第二学科(現機械機能工学科)に入学。学生時代は好きな機械の勉強に没頭しつつ、軽音楽同好会に所属してハードコアバンドを組み、CDデビューも果たすなど、充実した大学生活を送っていた。
 卒業後はDMG 森精機株式会社へ就職。森精機は世界中にクライアントを持ち、海外ともやり取りをする中で、技術における日本ブランドのすごさを肌で感じながら仕事ができたという。その中で主に設計業務に携わった山上さんだが「大きな企業の中で、ある程
度業務を任され評価もいただき始めていましたが、自分でやれることは専門の部分だけで、その範囲が狭かったんですよね。そう考えるうちに、ものづくりの川上から川下まで全てに携わりたいと思うようになったんです」と、29歳の時に実家に戻った。山上木工入社後は、営業として顧客と商談を行うところから、自ら工作機を使った加工作業、機械の修理までこなす。

小さい会社が世界に出るための戦略


 山上木工は、従業員22名の中小企業と言える。従来はどうしても下請けの仕事が大半であった。山上木工は創業当時から各種工作機械を取り揃え、機械の正確性・生産性と職人の熟練技術を組み合わせて実績を積み重ねてきた。しかし、そのことを誰も知らない。発信しなければ、存在しないのと同じだ、と山上さんはPRに力を入れ始めた。Webサイトを刷新し、動画やSNSも駆使しながら実績や技術力の高さを発信した。その結果、下請けではなく直接クライアントから仕事の依頼が来るようになってきた。また、オリジナル家具ブランドを持つメーカーとなるべく、父である社長が2011年、山上さんが入社する2年前に木工家 高橋三太郎さんとともに「ISU WORKS」というプロジェクトを始めた。そして2018年には山上さんが近所の廃校となった小学校を活用して、ブランドのショールーム、またものづくりをする人々が集う場として「TSKOOL(ツクール)」を立ち上げた。
「家具といえば旭川でしょ、津別なんて知らないよ、と言われることも多く、父はずっと苦労してきました。なんとかこの会社の技術力の高さを知ってほしい、伝えたいと思ってきました。オホーツクの会社であるということもブランドの価値として捉え「OKHOTSK PRIDE」という言葉を掲げ、地元津別から世界に向けてどんどん発信していきたい」と、インターネットを活用したPRを実践する山上さん。

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職人との綿密な打ち合わせ
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オリジナルブランドの製品が並ぶショールーム

オリンピック・パラリンピックのメダルケースに採用


 そんな中で山上木工は、大きなチャンスをつかむことになる。デザイナーの吉田真也さんと組んで行った提案が、2020 年東京オリンピック・パラリンピックのメダルケースに採用されたのだ。国産のタモ材を使用し、日本人が古くから親しんできた藍色に施され、職人の手で一つずつ丁寧に仕上げられる。円形のフタと本体が磁石によって、輪のように開いてそのままメダルをディスプレイすることが可能など、機能面でも優れたものとなっている。この採用に至るまでの過程において、美しさを追求するため、本体と蓋の角度について、木工では誤差である0・5度という微妙な角度調節を繰り返した。200個以上の試作品を作り、
完成するまでに10カ月以上かかったという。「オリンピック・パラリンピックのメダルケースなので、開催地である日本らしさ、そして木材のまち津別であることをキーにして、デザイナーさんと試行錯誤を繰り返しながらデザイン・仕様を固めてきました。メダルを受け取る世界中の約5000人の手に、この津別で作ったケースが渡ると思うと、身震いする思いです。私たちのような地方にある小さな会社でも世界に認められ、大きな仕事ができることを誇りに思います」
abm00016756木目が美しい国産田タモ材のメダルケース
 

 同じ志を持った仲間を増やしたい


 日本には、優れた技術でさまざまな部門の世界トップシェアを誇る中小企業が数多くあるが、あまり知られていないことが多い。そしてそれらの企業には、下請け、後継ぎ、その他さまざまな課題がある。山上木工も、地理的条件や規模などを考えると厳しいという見方もある。だが山上さんはこう強調する。「今は優れたものはシェアされ、発信した以上の反響があることもあります。世界まで届くんです。そうすると直接仕事の依頼が来る。そして
高い技術で応えれば、さらに広がる。私たちはこれからも新しいことにチャレンジして、津別から世界に発信し続けたいと考えています。そして、中小企業の同じ志を持った仲間を増やしたい。全国の中小企業にとっての勇気になりたい」。
 津別から世界へ、と何度も繰り返す山上さんは、これからも中小企業の新しいあり方を提起し続け、地方を、業界を、日本を盛り上げていくための道を切り開いていく。

(広報誌「芝浦」2019年秋号掲載)