菅原道真公と有元史郎

Lord Sugawara no Michizane and Arimoto Shiro

創立者有元史郎のお墓は、池上本門寺(東京都大田区池上)にある。墓所には有元史郎の功績を讃える銘板が設置され、墓標には梅うめばち鉢紋の家紋が刻まれ、墓誌には有元史郎の本姓※と諱いみなである「菅原頼忠」の記載がある。梅鉢紋は、菅原道真公ゆかりの紋章であり、菅原道真公を御祭神として崇拝する全国の天満宮でも用いられており、「天神信仰」のシンボルとして知られている。なぜ、墓誌に『菅原』の記載があるのか。家紋が梅鉢紋なのかは何か関係があるのか。弱冠30歳、東京帝国大学大学院生の時に芝浦工業大学の前身である東京高等工商学校を設立した有元史郎と菅原道真公の関係を探ってみた。※ 「本来の姓」の意。氏(同族血縁集団)を示す士族名を指す。

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菅原道真公
菅原道真公(8 4 59 0 3年)は、平安時代の学者、詩人。学問で朝廷に仕える家系に生まれ、幼い頃より勉学に励み33歳で文もんじょうはかせ章博士という学者としての最高位に就く。その後も数々の役職を歴任し、最終的には宇多天皇の絶大な信頼を得て、学者としては異例の右大臣の栄位を極めるが、それを妬んだ藤原時平の策謀によりいわれのない罪で太宰府に左遷される。死後太宰府天満宮の地(現在の御本殿)に埋葬され、天神さま、学問の神として祀られている

有元氏系譜

美作菅氏について
美作国(岡山県勝田郡)を中心に興った美作の国の氏族で、菅原道真公の流れを汲む血縁集団である。菅原道真公の長男である菅原高視の曾孫である菅原良正が美作国勝田郡に移り住み、以後、8代後である満祐の時代に長男忠勝(有元氏の祖、美作菅氏の嫡流)を菅家党の惣領とする菅氏七流が派生し中世から武士団として活躍していた。七流とは有元氏、廣戸氏、福光氏、植月氏、原田氏、鷹取氏、江見氏であ

有元氏について
岡山県勝田郡奈義町中島周辺を本拠とし、今でも小字有元に有元城跡が残っている。戦国時代尼子氏侵攻の際に野に伏せるが1 6 0 3年の津山藩森氏入国時に美作平定を助け、16 2 5年に国中の大庄屋をとりまとめる大庄屋頭に任命されている

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有元史郎が菅原道真公を敬愛していた理由(有元史郎関係書物から見た考察)

少年大日本史第13巻 菅原道真
有元史郎は、著書『少年大日本史第13巻 菅原道真(1 9 3 7年東京建設社発行)』の中で、有元家は「菅公三十八代の後裔にあたる」とあり、有元家には醍醐天皇より御衣を賜った際に佩用せられた天國の直刀が現存していると記載されている(戦災により紛失)。また、巻末の家系図には、菅原道真公の長男高視が有元家の祖先である旨が記載されている。

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故有元史郎傳記

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死後発行された『故有元史郎傳記(1 9 4 0年有元伝記編纂所発行)』の中で伝記編集責任者松尾小三郎(1 8 7 3年生、日本海事組合常務理事、菅公精神普及会)は「有元君に会ったのは昭和12年の春頃で会長侯爵一条実孝閣下の菅公会のために雑誌『菅公』に関する打ち合わせの時だった。」とある。伝記内の「家系並祖先」で記載されている内容からも当時、有元史郎は菅原家の流れであることを自覚し菅原道真公を崇拝していたことが見受けられる。この「家系並祖先」の文末には以下の記述がある。

「菅家同族中、作州墳墓の地を離るるの已む無なき者二三に止まらず、備中に隠れたる者に有元一家がある。中に有元萬右衛門頼正の子周助家忠氏に至り、備中連島(現在の岡山県倉敷市連島町)より移りて備後尾道(現在の広島県尾道市)に居住せり、是れ實に君が五代の祖である。」

有元史郎の先祖は岡山県勝田から倉敷を経て尾道に移り住んでいたとのことだが、実家の家業は船具商、貿易商であったとあるので、船業が盛んな倉敷、尾道への変遷は納得がいく。

以上により、芝浦工業大学創立者である有元史郎は菅原道真公の末裔を自覚し幼少より学業を志し、教育者の道を進んでいったことが推測される。崇拝する菅原道真公が、京の都で菅家廊下といわれた私塾で講義をおこなっていた故事からも、自身も学校創りを志したのではないだろうか。今後も調査を継続して行いたい。

文責: 経営戦略室(創立1 0 0周年記念事業・編纂担当)鈴木健一【参考】有元史郎(1 9 3 7年)『少年大日本美みまさかかんし作菅氏について美作国(岡山県勝田郡)を中心に興った美作の国の氏族で、菅原道真公の流れを汲む血縁集団である。菅原道真公の長男である菅原高視の曾孫である菅原良正が美作国勝田郡に移り住み、以後、8代後である満祐の時代に長男忠勝(有元氏の祖、美作菅氏の嫡流)を菅家党の惣領とする菅氏七流が派生し中世から武士団として活躍していた。七流とは有元氏、廣戸氏、福光氏、植月氏、原田氏、鷹取氏、江見氏である。有元氏について岡山県勝田郡奈義町中島周辺を本拠とし、今でも小字有元に有元城跡が残っている。戦国時代尼子氏侵攻の際に野に伏せるが1 6 0 3年の津山藩森氏入国時に美作平定を助け、16 2 5年に国中の大庄屋をとりまとめる大庄屋頭に任命されている。史第13巻 菅原道真』東京建設社/松尾小三郎編(1 9 3 9年)『故有元史郎傳記』有元伝記編纂所/大倉直(2 0 2 4年)『有元史郎と芝浦工業大学日本近代化の夢を信じた工学者たち』小松書館/広島県尾道市図書館所蔵文献/岡山県津山市図書館所蔵文献/太宰 府 天満宮/尾道市海福寺/W i k i p e d i a(美作菅氏、有元氏)

 
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