JIA日本建築大賞受賞記念対談 建築学部 原田真宏教授 × 建築家 隈研吾氏

2017年度の「JIA(日本建築家協会)日本建築大賞」に、芝浦工業大学建築学部の原田真宏教授(MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO)が設計した「道の駅ましこ」(栃木県益子町)が選ばれました。
数々のアトリエ事務所を渡り歩き、独立後も自らの建築を追求している原田氏。建築家としての出発点は、大学院修了後に在籍した隈研吾建築都市設計事務所にありました。受賞を機に隈研吾氏との師弟対談が実現しました。

受賞作を一目見て感じた力強さ

(撮影:藤塚光政)

隈氏は、原田教授の受賞作「道の駅ましこ」を見て、どんな感想を持ちましたか。

隈:写真を一目見て「かっこいいな、行ってみたいな」と思いました。
今、木を使うことが世の中のトレンドになっていますが、ただ使えばいいのではありません。木が持っている素材の力を引き出す、その能力が問われています。
あの作品における木のフレームの扱いはその素材の本質に迫っていると感じました。 木を使うというトレンドは、日本がリードしていかねばなりません。あの作品が持っている力強さは、日本から出発していると同時に現代性を帯びています。
そのトレンドを、これからは原田がリードしていくだろうと感じることができました。

 
(撮影:北田英治)

20年ほど前、隈氏の事務所に入ったころの原田教授の印象は。

隈:入所したころから、「こいつは本当に粘り強いな」と。こだわりがすごいんです。ただ、ちゃんと信念に基づいている。自分の中の一貫性があって、ディテールに対するこだわりがある。うちの事務所ではバランスというものを非常に大事にしています。こだわり過ぎてコストは大丈夫か、クライアントを満足させられるか、そう心配していたのですが、原田の場合は一貫性があるから説得力がある。「なるほど、だからこだわるのか」と僕には伝わってきました。うちのスタッフの中でも傑出した存在でしたね。

(撮影:吉田誠/日経アーキテクチュア)

独立後の活躍はどう見ていましたか。

隈:彼はすぐに学校で教え始めましたね。それが大きい。建築というのは、単に作品をつくるだけじゃなく、その作品がどう社会的に価値があるものなのか、建築家自身が考え続けなくてはいけません。考える場として、学校は大事です。アカデミズムによる裏打ちをしながら作品をつくってきたことが、その後の作品のベースになっていると思います。

原田氏は、隈事務所での経験を振り返っていかがですか。

原田:隈さんには(建築家としての)初期設定をされたなと。やっぱり最初の事務所でしたからね。僕は地方案件を多く担当させてもらい、隈さんのかばん持ちでいろんなところに行きました。地元の人たちからは地域自慢を聞かされるのですが、その自慢の中に建築の形式を考える上でのヒントがあります。まずは自分で「問い」を立て、どんな形式が価値を持っているか、その都度見つけること。それは隈事務所のころにだいぶ仕込まれました。

隈:原田には、どんなところに連れて行っても、へこたれない感じがありました。今の若い学生に必要なのは、そんな力です。いろんなところに連れて行くと、予想外のことが起きるわけです。建築家は社会の中で尊敬される存在だと思っていたら間違いで、地方には「そんな面白い建築を建てる必要があるんですか」と言う人もいる。これまで縁がなかったような人たちとの出会いがあります。そんな時、原田ならタフに対応できるんじゃないか。そう思ったから、連れて行ったんです。今の学生は、予想外の事態に直面すると、めげちゃうことが多い。これからは、めげない学生を育てないといけないと思っています。そんな学生が原田のもとにどんどん育っていくだろうと期待しているんです。

隈氏から学んだ「開いた態度」

原田:当時の事務所のスタッフは十数人。プロジェクトの過程の中で「どうなっちゃうんだろう」と思うことも多かったのですが(笑)、隈さん自身はもみくちゃにされているのを楽しんでいるようでした。思い出されるのは、同世代の建築家がみんなル・コルビュジエと言っていたころ、隈さんはブルーノ・タウトと言っていたことです。コルビュジエの型をトレースするのではなく、むしろ型が無い状態に自分を置いて建築をやる。建築を知らない人に「コルビュジエのこれが面白いからやりましょう」と言っても、しょうがないですからね。それより自分の心を開いた状態にして、その人や地域のいいところを見つけ、それに合う型を見つける。そんな作法が面白いなと。僕自身、どこかのスタイルを押しつけるような建築家にはなりたくなかったので、そういう隈さんの態度は勉強になりました。「開いた態度」。なかなか身に付けるのは大変ですが、それがだんだんと分かってきたような気がしています。

隈事務所での経験が、原田教授の現在の活動につながり、生かされているのですね。

原田:さきほど隈さんは、僕のことを「こだわっている」とおっしゃられましたが、確かにデビュー当時は、設計の際に「全体性」や「秩序立っている」こと、「結晶体」ということを強く意識していました。ただ、母親が住む家を設計した時です。ダイヤモンドみたいな結晶度の高い家をプレゼントしようと思って結局10案くらい用意したのに、全部拒否されてしまった。なぜか考えたら、結晶度が高過ぎて冷たく感じられたようなんです。それで、秩序はありながらも同時に開いてもいるような緩やかなものを出したら、今度は受け取ってもらえた。その時、隈さんのことを思い出したんです。アウトラインが定まらなくても、どんなものがあっても受け入れる鷹揚(おうよう)さ、それは建築に無くてはならないものだろうなと。「道の駅ましこ」にも確かな秩序はありますが、どうにでも変わっていける秩序なんです。そんな開いた状態に、建築もデザインもなっていなきゃいけないし、建築家の態度もそうじゃなきゃいけないなと思っています。それはきっと隈さんに初期設定されていたんだと思う。そのことがようやくデビューして何年かたって分かりました。僕もコルビュジエじゃなくてタウトだと。型を押しつけるのは違うなと。

隈氏は、原田教授の作品を見て、継承されたものを感じますか。

隈:原田のデビュー作(「XXXX/焼津の陶芸小屋」)は、僕が事務所を始める前から家具を頼んでいた小さな木工所が関わっていて、家具屋さんと一緒につくったものでした。建築物を建築的につくらず、家具の延長としてつくり、家具の拡張体として空間をつくっちゃう。そういうことを僕の前の世代に当たる毛綱毅曠さんや石山修武さんは言っていたけれど、原田はそれを軽々と実現してしまったんです。すごくアバンギャルドなアイデアだけど、偉そうにやらないで、本当に軽々と。さらに空間そのものも人間にとって気持ちがいい、軽々とした空間になっている。そのデビュー作を見て、原田はただ者じゃないなと思いました。

原田教授のデビュー作「XXXX/焼津の陶芸小屋」

原田:隈事務所にいたころから、モックアップは原寸でつくるようにしていました。例えば竹の並べ方も、竹のサイズとピッチを変えて、遠くから近くから例えば透け方をチェックしていました。100分の1、200分の1でスケッチは描きますが、1分の1も常に身近にあるという環境に居させてもらったので、縮図として抽象化されたモデルと、手で触っている感覚とが地続きになっています。建築と自分の体がつながっているような状態にいるトレーニングを続けてきたような気はします。

建築と向き合うプロセスを見せる以上の教育はない

お二人とも大学教員ということで、建築教育についてうかがいます。実務と教育という両側面を持っていることの良さについて、お考えはありますか。

隈:時代の行く末を見据え、それを若い世代に伝達することが建築家の重要な役割だと考えています。例えばコルビュジエにしろ、フランク・ロイド・ライトにしろ、時代を画する建築をつくる人は、すごく若い人への指導に熱心でした。今の時代でもそれを忘れてはいけません。そういう意味で、現在の建築教育というのは、少し残念な状況にあると思っています。  コルビュジエにしろ、ライトにしろ、実践と教育の境目はそれほどなくて、それこそが若い人にとって刺激になっていたと思うんです。例えばレクチャーをして知識を叩き込むというふうに考えないで、自分がつくっている様を見せるというような、そうした方法をコルビュジエもライトもやってきたし、丹下健三もやってきたわけです。丹下さんが日本の建築界であれほどの影響力を持ったのは、磯崎新さん、黒川紀章さん、槇文彦さんなど自分の学生を抱えながら、彼らと一緒につくるということに取り組んでいたからではないでしょうか。今の社会ではそうしたことはなかなか難しくなっていますが、それを打ち破ることを僕自身はやりたいし、原田にもこれからやってほしいです。

原田 そういった意味で、芝浦工大は恵まれた学校です。実務を重んじる学校であり、伝統的に第一線の建築家を先生として迎え入れてきた歴史があります。学校にはかなり迷惑を掛けていると思いますが、僕が七転八倒して建築に向き合っていく姿を学生たちは間近で見ていますし(笑)、まわりの先生方もそれとなく助けてくれます。そんなカルチャーが根付いているのでしょう。大変ありがたく思っています。

 

原田教授の研究室は、特に実践を重視していると聞いています。

原田:実践から離れた建築って何なのだろうと思いますしね。僕は、建築と向き合うプロセスを見せていくこと以上の教育はないと思っています。逆に考えると僕の方も、ひょっとしたら学生たちがまわりにいることで、独りではたどり着けない高みまで行けているかもしれないですよね。上に向かっていこうとする一人一人の熱量が上昇気流となり、研究室の中を渦巻いているのかもしれません。出世の処世術を語り出すような教員になっては駄目だと肝に銘じています。僕の世代はコンペ世代とも言われています。アイデアコンペが盛んな時期を過ごし、同世代のライバルも多かった。だから、「コンペティション最適化」ということが起こりがちでした。審査員はどういう人で、これまでの傾向を見ると、こういうのがうまくいくんじゃないかと。酒場の暗がりで語るならまだしも、それを真顔で作家論として語るみたいなところがあって、それはまずいと思っていました。隈さんは昔、それを「カラオケボックスで歌う」のと同じだとおっしゃっていたように記憶しています。建築が芸事になっちゃうと。建築は芸事では駄目で、生の世界に置いておかないといけません。

隈:そんなことをしていたら建築家としてどんどん煮詰まって、つまらなくなっちゃうよね。やはり建築は、社会にバーっと開かれているところがなきゃいけない。審査員の顔を見て歌うということは、カラオケで高得点を出すために歌っているようなものです。それでは結局のところ、歌として人の心には響きません。原田は、人の心に響くような野性味を持っていて、それが非常に貴重なんです。

原田:先日、かつて早稲田大学の入学生に吉阪隆正が語った言葉を聞く機会がありました。入学したての学生に「君たちは卒業制作で10位以内に入って喜んでいるようじゃ、ちゃんとした建築家にはなれないよ」と。ある評価基準に対していい得点を取るというふうに建築を捉えている限りは、建築家にはなれないということです。それは本質的な話だと思いました。

隈:今の時代は、過去問を重視する受験勉強のような学習能力ばかりが高まっています。それでいい建築家が出るかといったら、全く逆なわけです。やはり野性味のある建築家が出てきません。今回の原田の受賞は、野性味というものが人の心に訴える力があるということを社会にアピールできたという意味でも建築界にとって大朗報です。

「建築家は変な人でいい」と身をもって見せる

野性味のある建築家は希少ですか。

隈:日本だけではなく、世界的に減っています。世界的に見て、建築の世界がマニュアル的なもので弱小化しています。例えば、中国や韓国から力強い建築家が出てくるかと思いきや、意外にも中国や韓国の方がマニュアル的なものがはびこっている。本当にさみしい状態です。だからこそ日本の責任は大きいと思います。日本から、そういう建築家を輩出できるか。やはり原田スクールには頑張ってほしいですね。

原田:そう言われると勇気づけられます。洗練度の競技を離れ、もう一回、尺度をつくるということをやらなきゃいけません。確かに日本はそういうポジションにいるかもしれないですね。

隈:建築のフィールドが欧米からアジアに移っていくと言われているわりに、中国、韓国からは意外にも力強い人が出てこない。おそらく中国、韓国の経済的な状況が関係しているのでしょう。建築家がわりと簡単にものを建て、早くものを建てたいと思っています。一方、日本の建築家は、大手設計事務所やゼネコンのはざまにいて、「俺たちのアイデンティティはものをつくることじゃなくて、哲学をつくることにある」と考えている。そういう気風が残っていることは貴重です。逆に中国や韓国の建築家は、名前が売れるとパッと建てられちゃう。それは危険だなと。

日本の建築界の中に「なかなか仕事がない」「仕事が認められない」といった現状があるとして、逆にそれはある程度あった方がいいということですか。

隈:日本の面白さでもありますが、大手事務所やゼネコンの設計部は、社会的信用があって立場が強いわけです。建築家は「あいつらは楽をして仕事をとっているけど、あんなくだらない建築をつくって何が面白いのか」と思い続けている。そういう気持ちがあるから、日本の建築家は、ある種の力強さを持ち得るんだと思っています。日本の建築界のコンベンショナル(型にはまった)なところ、保守的なところは、もちろん問題ですが、それが日本のアトリエ建築家を強くしているという側面が間違いなくあると思うのです。

原田:ある種の建築家の矜持、「(武士は)食わねど高楊枝」みたいな心持ちが、やはりあります。例えば、隈さんが提示した問題を上手に解くことを、組織の人たちはやるわけです。でも大事なのは、世の中に生きる者として「こういう理想があるよね」という問いを立てること、そしてフレームをつくること。それができるのが建築家です。それを手放してしまったら、もったいない。自動的に、提示された問題を解くのではなくて、自分で意義のある問題を立てて、自分でちゃんと答えていく。学生たちにもその喜びを知ってもらいたいですよね。最初はトレーニングとして学生たちに設計課題を与えるのですが、それを繰り返していると卒業設計でそれはもう悩むんです。初めて問題を渡してもらえないわけですから。小学校以来の教育環境の中で初めてのこと。そこから個々の学生が持つ「自力」が見えてきます。それまでは洗練された解を出す学生が一定の評価を得てきたのですが、わりとそれがひっくり返るんです。

隈:突然ね。建築には、今までの教育と完全にひっくり返らないと逆に評価されないところがあります。要するに、標準解を出したら全く評価されない。それまでは標準解を出したら90点は取れると学んでくるわけですが、それが突然、建築学科の設計製図になった途端、標準解を出している学生は「へえ、それでどうしたの」と言われる世界になる。その逆転に耐えられるかどうかです。その逆転に耐えさせるためには、教師がやっぱり「変な人」であることが重要だと思うんです。僕の先生の原広司さんが言っていたことがあります。彼の先生は丹下健三なのですが、丹下さんから何を一番教わったかというと、「変な人でいいんだ」ということだと言うのです。まさに標準解からの逆転みたいなことですね。決められた問題設定から逃れる自由を手に入れさせるためには、変な人でいいんだと、教師が身をもって見せることです。

原田:そして自分は喜んで生きているんだと、学生たちに見せなきゃいけません。自分自身が苦しんでいることを見せているようじゃ、まだまだ駄目ですね。さきほどの繰り返しになりますが、隈さんがコルビュジエじゃなくてタウトだと言ったこと、それは変な人でいる意志なんだと思います。当時はみんながコルビュジエの研究をしていたわけですから。メジャーなものを客観視し、外に出ていく視点がないと、ただそこに飲み込まれてしまって建築が芸事になってしまいます。隈さんからは、実はそういうところを一番学んだ気がします。今の学生は、優等生的に90点を取ってくる、それはそれで評価しなきゃいけません。でも、奇をてらったわけでなくて、そいつが真実に感じているがゆえに出してしまった答えが、もしも変な時、受け止めてやらなきゃいけないなと。僕が受け止めなければ誰が受け止めるんだ(笑)。そんなつもりで学校には行っています。

「問い」を持ち続けること、諦めず粘ること

建築を学ぶ学生、建築を志す若い人たちに言いたいことはありますか。

原田:この時期になると卒業設計展などによく呼ばれるんですが、素晴らしいレベルのものも出されていて、中でもトップのものは「問い」も自分の中から出てきている。そんな問い掛けをしている学生もいるのかと感心しています。でも、それが「青春の思い出づくり」になっているところがある。ここまで僕は頑張った、私はピュアにやったと。そして、このトロフィーを記念碑として、これからは社会に出て人格を変えて頑張りますと言うわけです。僕は、それは非常に悔しいし、もったいないと思っています。自分の道、テーマを見つけたんだったら、追ってみようよ、歩んでみようよって言いたくなるんです。僕自身を振り返ってみて、「なんとか生きていけるよ」とは伝えたい。静岡から出てきて私学の東京の大学で独り暮らしをして、昨今奨学金破産が社会問題となっていますが、僕は学部も大学院も奨学金を借りて、さらにアトリエに入った。それでも、食えた、生きていけた。どうせアトリエに入ったら遊ばないし、むしろ建築が遊びです。だから、なんとかなるよ、ということは言いたい。踏み外すことはあまり恐れないで、20代はとにかく変な、野生な経験を多くした方が、30代以降に生きてきます。

原田:もどかしそうな学生はいっぱいいます。賢い子は早めに見切りを付けますが。僕たち建築家の方にも原因があると思いますが、もったいないなあと思いますね。それは切実に感じていることです。

隈:僕が先輩から学び、若い人につなげたいもの、その一つは、さきほど言った「変な人」であることを恐れないことです。もう一つは、建築の質を決めるのは「粘り」であるということです。例えば、才能のあるなしを言われることがあります。でもね、丹下さんは「建築というのは、才能や育ちよりも、結局は粘りで決まります」と言っていたと。丹下さんというと天才的なアーティストと思われているのですが、その人が結局は粘りなんだと言っている。そのことに僕はすごい勇気をもらいました。実際に設計をしていると、いろんな難しいことが起こるわけです。コストがおさまらない、クライアントが変なことを言う、工事業者がろくでもない、と。そこでも諦めないことです。諦めたら一瞬で終わりです。諦めないでどこまで粘れるかということが、最後のものの質を決めます。それも丹下さんという、あれだけの人が粘りだって言ってくれたことは、僕は若い人に絶対に伝えたい。受け取ったバトンを若い人に渡したいと思います。それは経験してみないと分からないことでもあります。粘り続ければ分かってきます。最初は大変だと思うかもしれません。特に今の若い人はそういう粘りの体験がないから、より大変だと思いますが、粘って何かを達成すれば、やっぱり粘っていたからこそ、これが達成できたんだなと絶対に分かる日がきます。

まだまだ何も知らないつもりでぶつかっている

最後に今後のプラン、目標を教えてください。

原田:そもそも建築を選んだ理由は単純です。きれいな世界に住みたいと思ったんです。建築は、きれいな世界をつくることができる、風景を変えることができる。箱庭のような内側の世界だけをつくるのではなく、みんなが見られるもの、みんなの目に入ってしまうものを、ちゃんとやれるような立場にならないといけないなと思っています。それともう一つ、どうしても興味があるのが、橋梁や空港。物理的な現象が強く支配するような創造物と言えるでしょうか。そんなものをやりたい気持ちはずっとあります。いわゆる建築というフィールドからは、若干はみ出るかもしれませんが、デビュー時に建築を家具としてつくったのと同じです。建築だって橋梁だって、鉄かコンクリートでできています。あるいは木で。だったら、あまり変わらないですよ。ちっちゃいころに秘密基地をつくっていたのがそのまま大きくなって、家になったり橋になったりするわけです。そういう道筋は追求したいなと。

隈:建築って世界と対峙してやっているから、まだ知らない世界、まだ出会ったことがない場所や人、そんなものが山ほどあるんです。誰もがインターネットで世界とつながったつもりになっているけど、世界の幅の広さとか質感とかには出会ってないと思うんです。僕自身、まだほんのちょっとしか知らないという意識があります。この年になっても、こういうふうにたくさんのプロジェクトをやるようになっても、知らない世界の広さ、深さは莫大だと思うから、みんな知ったつもりにならないでぶつかってほしいし、僕自身、まだまだ何にも知らないつもりでぶつかっているんです。

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